Salute

ホ・オポノポノというセラピー

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言ったことがなかったけど、
セドナメソッドとともに、筆者はよく使ってる。
ずいぶん前の公式セミナーにも出た。
その時はたいしたことないなと思っただけだった。
それが時間がたつにつれ、使う頻度が増え続けてる。
COVID-19の時代、
いや、はっきり言おう、ダブルバインドの時代、
きっと役立つはずなので、
ポイントを簡単に紹介しておく。
より詳しくは、本やYouTubeなど情報がたくさん出てるので、
そちらをあたってほしい。
それと、ここでの記述は、実践を積み重ねたとは言え、
筆者の主観がたくさん含まれてることはご承知願いたい。

ここで言う「ホ・オポノポノ」は、
「SITH(Self Identity Through Ho’oponopono)ホ・オポノポノ」。
ハワイの伝統療法を1人用に刷新して生まれた技法だ。
これほど便利で自分1人でできるセラピーはない。
問題解決の方法として流行ったことがあるから、
ご存知の人が多いかもしれない。
中には、結果を求めすぎて、効果を感じられず、
やめちゃった人もいるだろう。
たぶん、ちゃんと構造を理解していなかったからだと思う。
押さえておきたいポイントは3つ。

1.自分の意識は3層からなり、家族にたとえられる。

心理学的な用法とは多少ずれもあるけど、
この技法ではこう捉えてる。
アウマクア(超意識)=父
 神意識、ハイヤーセルフ。
 ディヴィニティ(神聖なるもの)と繋がってる。
ウハネ(顕在意識)=母
 いわゆる自分意識。
 見たり聞いたり、体験してる意識。
ウニヒピリ(潜在意識)=子
 インナーチャイルド、内なる子ども。
 あらゆる記憶、それに付随する感情を蓄えてる。
 それには個人を超えた記憶も含まれる。

2.見たこと聞いたこと、体験したことのすべては、自分の責任だと認識する。

誰かのせいにしない。
女だからとか、男だからとか、
上司がどうとか、家族がどうとか、
経済がどうとか、社会がどうとか、
出自がどうとか、国籍がどうとか、
身体がどうとか、脳がどうとか、
その他いろいろのせいにしない。
自分自身がすべての責任を引き受ける。
なぜか。
自分の中の闘争を終わらせるためだ。
何かのせいにすることは、ひと時の落ち着きをもたらすかもしれない。
「ああ、よかった。私のせいじゃない」って。
でも、すぐに気づく。
その何かが変化しなければ、私に平安はないんだって。
こうして、その何かを変えるために闘争するか、
その何かから遠ざかるために逃走する。
泣き寝入りをすすめてるんじゃない。
心の玉座に誰が座るのかってことだ。
このことについて書きだすと長くなるので、
この辺りで止めるけど。
とにかく、
心に闘争を抱えたままの私でいいのか。
そんな心に闘争を抱えた人びとが集まった社会に平和はない。
だから、まず私自身の心が平和になる必要がある。
理屈をつければ、こうなると思う。
どうしても受け入れがたければ、そういうことなのねって感じでいい。
(※補足を終わりにつけました)

3.ウハネとウニヒピリの関係を理解する。

ウハネが見聞き体験してる現象は、
実はウニヒピリの記憶の再生だ。

ウニヒピリは、
「ねえねえ、こんなのあるんだけど、見てよ」
って感じで、ウハネに提示してる。
ウハネは、それを現実と捉え、
どうにかしようと悩んだり、わたわた行動する。
それを見て、ウニヒピリは拒絶されたと思ってしまう。

って、どこにでもありそうな親子関係でしょ。
そんなことが、たいてい繰り返されてる。
これを終わらせるには、
ウハネがウニヒピリをケアし、絆を結びなおす必要がある。
ともに歩む盟友としての姿勢を見せるんだ。

クリーニング

では、どのようにセラピーをすすめるか。
上述したように、現象はウニヒピリの蓄えた記憶の再生だ。
現象そのものをどうにかしようとしてもうまくいかない。
現象は契機でしかない。
ウニヒピリは抱えてる記憶を差し出してる。
それに対して、ウハネである自分はどうするか。
たとえば、こんな感じ、
ウハネは、ウニヒピリに声をかける。
「ありがとう(気付かせてくれて)」
「ごめんなさい(あなたをないがしろにして)」
「ゆるしてね(あなたに責任を負わせてしまって)」
「愛してる(あなたと共に)」
この言葉をウニヒピリが受け入れると、
ウニヒピリは現象に関係する記憶をかき集め、
アウマクアに届ける。
アウマクアは、その記憶を消去できるよう整える。
ディヴィニティ(神聖なるもの)が記憶を消去する。
この一連のプロセスをクリーニングと呼ぶ。

クリーニングを繰り返し、闘争のない状態、
ホ・オポノポノでゼロと呼ばれる状態には、
インスピレーションが入ってくる。
行動するのは、そのインスピレーションに基づけばいい。
その方が、恐れや不安や怒りに基づいた行動よりも、
よほど自分として生きられる。

注意しなきゃいけないのは、
「こんなにがんばってクリーニングしてるのに消えない」
とか。
これ、ウニヒピリを虐待してるのと同じ。
それで、その思いもクリーニングする。
そうそう、上述2の「自分の責任」に、わだかまりがあれば、
それについても、クリーニングすればいい。

ウハネである自分がどうにかしようとあがいたって、
ウハネに知れることは少なすぎる。
分りえぬことの方が膨大だ。
ぜんぶ自分の責任だとしたって、わからないもんはわからない。
だから、ウニヒピリやアウマクアに任せておけばいい。
彼らには彼らの(って自分だけど)段取りってもんがある。
ウハネは、ただ認識し、クリーニングのスイッチを入れるだけ。

筆者はセッション中にやってる。
いや、もっと前、予約が入ったときからやってる。
クライアントさんに起こったことや語ることは、
クライアントさんのウニヒピリの記憶であるけれど、
セラピスト役である筆者のウニヒピリの記憶でもあるから。
痛くて予約すると、来院したときには痛みが消えてる
って経験したクライアントさんは多いはずだけど、
これがその理由、かもしれないね。

補足

2で全部自分の責任ってところで、
引っかかる人がいると思うので補足。

Aさんは、何でもかんでも自分のせいだと思って、
自分を責め続ける人。
Bさんは、自分のせいだと思うと、
行動したくてもできなくなってしまう人。
Cさんは、いじめや差別など人権侵害を受けてる人。
その他にもいろいろな状況の人。
こうした人たちにとって、自分の責任だというのは、
理不尽にしか聞こえないと思う。
だからと言って、ウニヒピリを虐待していいか、
責任を果たさなくていいのかを見なくてはいけない。
Aさん、Bさん、Cさんの誰もが、
ウニヒピリ=自分を大事にした方がいいだろうし、
クリーニングのスイッチを入れるという責任を果した方がいい。
筆者は、そう思う。


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