Salute

事例:症状を味方にする

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車椅子と松葉杖の、しょぼい話

6月から、対面セッション再開しています。
換気のため、時おり窓開け。
それに消毒とマスク。
何のことはない。マスク以外はいつもどおり。
来院する方のほとんどが京急を使って来る。
県境を越えてくる人も多いし、
わざわざ不安な思いをしていただくのもってことで、
来院の際は無理のないようお願いします。
筆者も無理せず、ゆる~くやります。

で、今回は、よく聞かれる質問、
なんで入院したの?です。
筆者のセルフセッションが出てきます。
だいぶ恥ずかしいので、書くのが難儀でした。
ちょっと長くなっちゃいましたが、
セッションってそんなもん。
参考になれば、いいかな。

まずは結果を簡単に

左足の蜂窩織炎(ほうかしきえん)。
めずらしい病気なんかじゃない、らしい。
細菌が入りこんで起きるんだけど、
筆者の足に、傷はないし、水虫もない。
汚染された水に足を突っ込んでもない。
いつも通りに生活してただけ。
なのに、入り込まれちゃった。

原因不明の高熱

それは、3月の中旬、
38度超の高熱から始まったから、始末が悪かった。
咳も身体のだるさも、ましてや、身体のどこにも痛みなんてない。
食欲も落ちてないし、普通に筋トレできちゃうくらい。
こういうのは、一晩寝れば治っちゃうはず。
って早寝したけど、熱は下がらなかった。
うーん、
とりあえず、インフルかCOVID-19、
そう想定して動くことにする。

近所の内科へ電話してから受診。
インフル、陰性。
肺炎の兆候、なし。
解熱剤の処方。
想定通りの診断なのはいいけど、
高熱の原因不明ってのは参った。
その一方で不思議なことが起こってた。
クリニックへの道中、徐々に左足が痛くなってきたんだ。
なぜ痛くなるのか…。
一昨日、マスクを買おうとして(当時マスクは品切れだった)歩き回り、
珍しく土踏まずが疲れたので、ゴルフボールでコロコロやった。
それぐらいしか思い当たらない。
それでこうなるか。
クリニックからの帰り道では、
とうとう足を引きずるようにして歩いてた。
その夜が最低最悪。
左足が痛む。どうやっても痛む。ついには、
「殺してくれ!」と叫んだらしい。
救急車を呼ぶなんて思いつきもしない。
翌朝、左足首から先が、倍以上に腫れ上がってたし、
全く歩けなくなってた。
それに、解熱剤の効果はなかった。
仕事用のキャスター付きスツールで、トイレまで行く。

あんまり行きたくないところ、
整形外科を受診すべきだ、と思う。
だいたい、あそこって高齢者が多い。
原因不明の高熱のまま行くのは気が引けるから、
感染症相談センターに電話する。
あっさり言われた。「どうぞ整形外科へ行ってください」
早速、近所の整形外科へ、タクシーで行く。
骨に異常はみられない。
医師は、コロナの話ばかりする。
「で、私の足は?」と問うと、
「こういうのは、ひと月ぐらいかかることがあるからね」
痛みどめと湿布の処方。

階段を上れないから、セッションルームが生活の場となった。
足を下げているのがつらいから、横になってばかり。
自分で自分をセッションしてる感じになる。
まさに、それが必要なことだし、求められてると思う。
ってか、他にやれることがない。

症状との対話

ひと月もこの痛みに耐えるのか。
ぞっとする思いをちょっと脇へ置く。
痛みが、嫌だなとか、どうにかならないかとか、
何でこうなったとか、
もっとひどいことになっちゃうんじゃないかとか、
もろもろを、一旦、脇へ置く。
どうあがいたって、どう考えたって、
いまここに痛みはあってしまってるんだ。
一緒にいるしかないっしょ。
できるだけリラックスして、ぼんやりと痛みを眺める。

〔足の痛み〕
連想されるのは、足元を見よ。
何をどう見りゃいいのか。

〔考えるな〕
痛みから、感じが来た。
なるほど、それで熱があるとも言えるな。

〔だから考えるな〕
うー。

〔何をしようとしてた?〕
クライアントさんの何人かに個別メールを。
なぜって、COVID-19で不安と恐怖が蔓延し始めて、
戸惑ってる姿を感じてしまったから。

〔それはだれのため?〕
クライアント…、自分の、ため?
えー、そうなのか?
だとしたら、コントロール欲求? 承認欲求?
いやいやいや、違う。
…隠す。

〔何を隠す?〕
自分の不安と恐怖。

〔何が不安で恐怖?〕
間違えてる。
間違えてる? 何を間違えてるんだ?
いや、確かにあるぞ。
何かをしてて、何か間違えてる感覚。
ある。
とても小さな違和感だったから、気に留めなかった。
嘘だ。気が付かないふりしてた。
存在の間違いになるんじゃないかと思って。
生きてるのが間違いかもしれないって、やばい。
でも、何でだ? 何なんだろ。

〔(足首に鎖と鉄球)→(足首から生えた羽)〕
今度は映像イメージか。
足首といえば…、
足首を切断する夢を見たことが何度か…、
えーッ、この足だめなのか?
いやいやいや、思わずスマホに手が伸びる。
検索、
鎖と鉄球は、囚人。奴隷。束縛。
足首の羽は、ギリシャ神話のヘルメスが履いているサンダル、タラリア。
束縛からの解放を意味してるのか。
何に束縛されてる?

〔(受診した整形外科の医師の再現映像)〕
医師は、コロナにおびえてた。
コロナに束縛された彼女の診断は、間違いの可能性が高い。
そうだよ、納得してない。
信頼できそうなクリニックを求めて、検索。
すると、いい感じのクリニックが表示された。

車椅子は便利だったけど

妻が手配したレンタルの車椅子が届いた。
説明を聞いて、座って動かしてみる。
なかなか出来ない経験だ。
実は、一度乗ってみたかった。
この機会を面白がるしかない。
トイレとの行き来が、楽になった。
とても便利に感じたから、しばらく乗ったまま過ごす。
そしたら、尻が痛みだした。
けっして座り心地のよいものではないという発見。
外へ出れば、気に留めたこともない起伏にガタガタ揺れるし、
ささいな傾斜にバランスを取らなきゃいけない。
都合のいいところにエレベーターはない。
タクシーの運転手さんは、車椅子の扱いがうまい。
面白いのは、JRと京急の違い。
JRは、…
ちょっと余談が過ぎる。

車椅子で向かった、新たなクリニック。
血液検査の結果、白血球数とCRPが異常高値。
通院では間に合わないからと、入院治療を勧められた。
紹介状を受け取りながら、
ひょっとすると、命拾いしたんだと思う。

感覚の広がりと記憶の再生

入院での治療は、朝晩の抗菌剤の点滴だけ。
腫れた足には氷のう。
食事は炭水化物が多すぎるけど、食べちゃう。
病院のCOVID-19対策で、面会禁止。

痛みで眠れてなかったのと、高熱、
それに少し安心したのが相まって、眠ってばかりになった。
そうやって、身体が落ち着いてみると、
感覚が広がってしまった。
他の患者さんや看護師さんたちの感情を感じてしまう。
嘆き、悲しみ、痛み、疲労、治りたい、治ってもらいたい…。
わけもなく涙が出るし、笑うし、憤慨する。
おまけに、小さい頃の入院の記憶まで出てきた。
小児病棟で仲良くなった子たちの、
筆者が退院するときの何とも言えない顔。
やばい。
「ホ・オポノポノ」をやる。
(ホ・オポノポノについては、別に書くことにしました)

松葉杖

入院して3日目、
ようやく熱が37度代に下がった。
それだけで気分も爽快になる。
そして、理学療法士の誘いに乗る気になった。
この病院、初日からリハビリ開始なんだけど、
さすがに動けないからって、断り続けてた。
リハビリテーション室で、
車椅子から立ち上がり、松葉杖を使ってみる。
脇の下からやや下がった位置に、左右それぞれ松葉杖を挟む。
身体を前へ倒しながら、
水泳のバタフライのように両松葉杖を前へ。
次いで、松葉杖の間に右足をポン。
退院までに、階段の上り下りを習得する必要がある。
入院前は、1週間もたたずに治るなんて思ってたが、
もっと時間がかかりそうだ。

ウマの合わない看護師

入院中は、親切で献身的なスタッフに恵まれ、
快適に過ごさせてもらった。
ただ1人だけ、どうしても不機嫌をぶつけてくる看護師がいた。
一番嫌だったのは夜の点滴に当たった時。
たいてい21時ぐらいから点滴だったんだけど、
彼女が夜勤のときは、消灯時間の22時になっても来てくれない。
忙しいのは分かってるので、何も言わなかった。
だけど、きついんだ。
1時間の点滴が終わって、2時間ぐらいすると、
確実にトイレに起きなきゃなんないから。
点滴の終わりに放置されたりすると、点滴の管を血液が逆流して、
留置してある針が詰まって使えなくなる。
そうなると同じ血管は使えないから、別の血管に刺し直し。
だから、起きてて、コールしなきゃいけない。
コールすれば、彼女は舌打ちとともにやってくる。
何か悪いことしたか?

どうしたもんかな。
筆者の何が彼女を刺激してるのか。
なんとなく、彼女には家族問題があるような気がする。
彼女をセッションするわけじゃないのに、
そんなことを考えたりする。
だいたい、生殺与奪権を握られてるようで気に入らない。
だから、文句にならないよう気を付けて言ってみた。
「この点滴が…ナンタラカンタラ」
そしたら、ありゃりゃ、
睨まれたあげく、点滴の手を止めちゃったよ。
息詰まる数瞬後、点滴は開始してくれた。
うわー、もう何がなんだかわからない。
そう、わからない。
何で入院してるのか、何で足が腫れて痛いんだか、
この状況全部がわからない。
って、「ホ・オポノポノ」にピッタリじゃないか。
なあ、ウニヒピリ?

「ベッドが空いたから移動しましょう」いきなり言われた。
今いるところは、内科泌尿器科病棟だったんだって。
夜間の騒がしさも、回診の素通りが多いのも納得。
最上階の整形外科病棟へ移ると、
病室は広いし、機械の音が少なくなったし、
スタッフもさばさばしてる。
同じ病院なのに、居心地が全く違う。

退院

他にもいろいろエピソードはあったけど、
ナースコール押し放題命令放題のわがままボクちゃん男とか、
(逆に筆者は気を使って押せない問題ね)。
だいたい方向が見えてきてるから割愛。
血液検査の結果がよくなった。
ってことは、細菌がいなくなったって判断になる。
だけど、足はまだ痛いし腫れてる。
すっきり治るもんだと思ってたから、戸惑う。
戸惑うけど、病院ではこれ以上やることがない。
退院だ。

2週間半の入院は、思ったより体力低下を招いてた。
動いて動いて、体力の回復を図るしかない。
すぐに車椅子は返却し、
1週間後の通院時には、松葉杖も返却した。
代わりに登山用のステッキを使う。
使っても外を歩くのはキツイ。
なにしろ、文明国であるはずのこの国の道は、平らでない。
ともかく、4月半ば過ぎ、
セッション再開の目途は立った。
(緊急事態宣言がでたので延期したけど)

もたらされたもの

この一連の出来事から何を拾い上げるか。
手がかりを整理してみよう。

1.足が腫れて痛い。
2.間違えてる感じ。
3.鎖と鉄球、羽の生えたサンダル。
4.ウマのあわない人。
5.書かなかったけど、事あるごとに思い出されたのは、
  幼い頃の記憶。とりわけ母のこと。
6.なぜか多用した「SITHホ・オポノポノ」。

なんとも分かりやすい。
顕在意識へ潜在意識からの呼びかけじゃないか。
ホ・オポノポノで言えば、
ウハネ(顕在意識=母)に、ウニヒピリ(潜在意識=子)が
懸命に訴えてる。

1.足の痛みと腫れ

見事にすべてを止める非常ブレーキ。
そして、足元に注意を向けさせた。
ほかのことはいいから、自分を見直せ。
そして、想定外を受け入れられるか。
医師も筆者も、足を丹念に見て、首をひねる。
傷もないのに、なんで?
それで思った。
想定通りであることが、奇跡だって。

2.間違えてる感じ

初めは4がらみの母との関係性問題かと思った。
でも、違った。
これは、頭と体が別々の方を向いてますよ。
ウハネとウニヒピリが協同してない。
頭だけで判断したり、周りの人がこうだから、ではだめだ。
自分の深い部分で、本当はどう思ってるかなんだ。

3.鎖と鉄球、羽の生えたサンダル

これはなかなか、わからなかった。
「ほら男爵」を思い出して、ようやくだ。
「ほら男爵」を知らない人は検索すると出る。
この話に「足の速い男」のエピソードが出てくる。
彼は、足が速すぎるので、普段は足に重りを付けてる。
いざというときに重りをはずして走るんだ。
彼にとって重りは、束縛でもなんでもない、
便利に使いこなすものだ。
それができるのは、
自分が重りを付けたのだと理解してるからだ。
自分が付けたことを忘れれば、重りは束縛になる。
自分が付けたことを思い出せば、重りは味方だ。

3.ウマの合わない人

他者の課題と自分の課題を切り離すこと。
アドラーだ。
目の前の人が機嫌が悪くたって、
それが自分のせいとは限らない。
一緒に洗濯機に入ってグルグルしない。
その上で、体験してるのはあくまでも「私」だ。
その「私」として、状況を受け入れ、責任をとれ。

4.母子関係

筆者の母は、まったく合理的言動の人ではない。
愛情もあったけど、
矛盾した信念も得てしまった。
それらに関しては、散々ワークを繰り返し、
すでに意識化されてる。
いまだに振り回されるし、疲れることもあるけど。
ここで、実際の母が問題になるとは思えない。
これは、母の記憶を借りてのメッセージだ。
母(ウハネ)が子(ウニヒピリ)をどう扱ってるか。
つまり、ウハネとして、ウニヒピリへの責任を果たそう。

5.SITHホ・オポノポノ

数あるセラピー、ワークスタイルの真ん中に、
存在感を発揮しだした。
どんなセラピーも突き詰めれば、
シンプルさに落ち着くんだと思う。
それが、今回「SITHホ・オポノポノ」だったと言える。
って、ここまでずっとこの文章を書いてるけど、
なんとか意味を見出そうとしてるだけだ。
所詮、思い付きのたわごとで、
思考の原因結果から抜け出せてない。
そんな状況に落ち入ってるのは、
ウハネが頑張りすぎるからだ。
ウハネに知りようがないことについても、
頑張ればどうにかなると思ってしまう。
原因は無数にあるし、記憶は作られるのに。
もちろんそれが役立つこともある。
けど、必ず行き詰まる。
いろんなことは、どうやってそうなったのか分からないし、
どうやったら思うようになるのかは、知りようがない。
分かりえぬことは、
ウニヒピリやアウマクアに任せるしかないし、
そもそも、そこんとこは彼らの担当なんだ。
手を携えて歩む。
「SITHホ・オポノポノ」では、そう言ってる。
これは、明け渡しを求められてるんだ。
そして、筆者の人生のステージにおいて、
いま、この跳躍が必要になってる。

症状は味方になったか

気が付けば、もう8月も終わろうとしてる。
5月に入った頃から書き始めて、だいぶたってる。
書かなくてもいいかなって思った期間もあったから。
でも、思い直した。
せっかく症状が出たんだから、
事例として記録しておくのもいいかなって。
途中に挿入されてた「ホ・オポノポノ」の項は、
別にして先にアップした。
で、現状は、
もう杖は使ってない。
足は、まだ少し腫れてるし、動かすと痛い。
正座はできない。
階段を下りるのが苦手。
ちっとも早く歩けないし、走れない。
長い距離を歩くと、痛みは強くなる。
それと、咄嗟の動きに弱い。

ちっともよくなってない?
うまく動けなくて、苛立っちゃうときもあるにはある。
筋トレとステッパーは普通にできる。
セッション中に痛みを感じることは、ほぼない。
総じて、だいぶよくなってると思う。
まあ、生産性って言葉からは、ほど遠い。
なにしろ、新しい生き方を模索してるっていうか…、
決して、上昇志向じゃないね、下降する感じ。
はがれてく感じ。
あまりにも無防備に感じて、
痛みがなかったら、尻込みしてた。
無理しない。
起こるに任せる。
たとえば「歩く」を取ってみると、
一歩一歩に痛みと動きづらさがある。
で、困ってるかっていうと、
ほとんど困ってない。
横断歩道、走らない。次を待つ。
駅の階段、走らない。次を待つ。
急ぐ人、お先にどうぞ。
たくさん追い抜かれてるはずなのに、
時間に余裕ができる。
一歩一歩が、禅のようで、ヴィッパーサナだ。
そういう瞑想法があるの。
痛みとともに歩いてると、
痛みを通して身体を感じ、
痛みを通して地面を感じ、
痛みを通して風を感じ、他者を感じ、
痛みを通して宇宙とともにあることを感じる。
そのとき、心はとても穏やかに澄み切ってる。
不安も心配も、どこへ行くかも抜け落ちてることに気づく。
そう気づいて、痛みに意識を向けると、痛みは微笑む。
知ってたはずのこと、
己の力で人生を切り開くんじゃない。
人生が、私を養ってきたんだ。
確信がやってくる。
知ってただけで、身についてなかった。
おそらく、この痛みはこの感じが定着するまで、
いる。
それが痛みの役割だって、勝手に思う。
痛みは、教師であり、味方になった。

さて、こんな感じを持ってセッションするのはおもしろい。
よりシンプルになった。
余分なことをしなくなった。
プロセスに従うことが容易になった。

COVID-19の流行ったとき、
(新型コロナなんて言わない。次の新型はなんて呼ぶんだ?)
そして、
開業20周年を前に、この感じは贈り物だ。

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